
from "30 ans d'emotions en image" Le FIGARO fr [link]

ギヨームさんにはふられるも、十分に緑を堪能した後には、
庭の出口でLe FIGARO紙(雑誌の方)の30周年を記念した
"30 ans d'émotions en images (30 years of emotion in images"
に遭遇。
フランスでLe FIGAROといえば、日本のオシャレFIGAROではなく、
日刊紙(新聞)が有名ですが、今回の展示は、1978年創刊の
Le FIGARO MAGAZINEのことのようです。
(展示自体は、Le FIGARO + Canon が提供)
Wiki : Le FIGARO MAGAZINE [link] (français)
Jardin du Luxembourgをぐるりと囲むように展示されたこの企画は、
どこかきちんとした美術館に展示するよりずっと週刊誌らしく、
通りすがるたくさんの人が、足をとめて見入っているのでした。
30 ans d'émotions en imagesのように、優れた報道写真には
他のジャンルの”素晴らしい写真”にない、
「万人を引きつけるものすごい引力」がある気がします。
他のジャンルの写真は「私」としてのみ鑑賞するので、
しばしばその評価は個人のテイストに左右されます。
しかし、優れた報道写真の前で、鑑賞者(少なくとも私)は、
「私」であると同時に「私たち」として鑑賞しているように思います。
だから、そういう写真には「いい」とか「悪い」とか「好き」とか「嫌い」とか
そういう個人的な感情の枠を超えた部分で、
ぐぐっとくるものが宿っているように思います。
ちょとだけ昔、「ジャーナリスト」といわれる仕事についた2人の
全く別々の友達のが、入社1年目の終わりに口をそろえて、
「報道の仕事は一番始めに見つけるのが価値であって、
そんなのは誰だっていいんだ。自分だって、他の誰だって。」
と悩んでいたけれど、「自分じゃなきゃダメなもの」には、
そういう万人引力のようなものはないのかも知れないよ、と思うのでした。
報道という仕事は、創造的な「人間らしい行為」というよりも、
「使命」という「神の使い」に近い仕事なのかもしれないよ。
そのうち、一人はより「自分」として伝えて行く職種へ転向し、
一人は今も同じ土俵で書いています。
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